こんにちは。とぉしです。
今日は畳の歴史について長々と載せてみました。文字ばかりなので辛いかもしれませんがよろしければ・・・
日本の文化の多くは、中国大陸からの伝承をもとにしたものが大半ですが、畳 (たたみ)は日本民族の生活の知恵が生み出した固有のものであります。
湿度が高く、天候の変化が激しい日本の風土で、「敷物」として育てられ、伝承されてきました。
いなわらを利用して床をつくり、インドより伝わった野生の「いぐさ」を改良栽培して畳表(たたみおもて)を織り、 「畳」という素晴しい敷物をつくりあげたわけです。
「畳」の文字は、古事記や日本書紀、万葉集などに「管畳」、「皮畳」、「絹畳」といった記述で登場しており、当時は、こうした敷物の総称で、畳める (たためる)もの、重ねるものの意味を持っていました。
奈良時代・・・710年頃
現存する畳の古いものは奈良時代のもので、奈良東大寺の正倉院にある聖武天皇が使用した「御床畳」(ゴショウノタタミ)という木製の台の上に置かれ ベッドとして使われていたものです。これは現在の畳と同じように真薦(マコモ)を編んだ筵(ムシロ)のようなものを5~6枚重ねて床として、表にい草の菰(コモ)をかぶせて錦の縁をつけたものです。この台を二つ並べて寝床として使われていたそうです。
古来から畳が敷物として使われていることがわかりますが、この頃は、現在の莚(むしろ)のようなものであったと思われます。
794-1179年にはすでに畳はあったとされていますが、その前は敷物の一つだったようです。
平安時代・・・794年頃
平安時代に入り、貴族の邸宅が寝殿造 (しんでんづくり)の建築様式となると、板敷の間に座具や寝具などとして畳が所々に置かれるようになりました。この置き畳として使われている様子は絵巻物等に描かれています。
必要な部分にのみ畳を置いていたそうです。
鎌倉時代・・・1192年頃
やがて鎌倉時代から室町時代にかけて書院造(しょいんづくり)が完成されると部屋の周囲に畳を敷き真ん中を残す使い方から、部屋全体に畳を敷き詰める使い方になってきました。
それまでの客をもてなす座具(ざぐ)であった畳(座布団に近いモノ)が、建物の床材になり始めていきました。
安土桃山時代・・・1573年頃
桃山時代から江戸時代へと移るに従い、書院造は茶道の発展によって茶室の工夫や手段を取り入れた数寄屋風の書院造になっていきました。
茶室建築から畳はやがて町人の家に引き継がれていきます。
江戸時代・・・1603年頃
江戸時代になってから「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」という役職が作られるほど、畳は武家、特に将軍や大名にとっては重要なものになっていきました 。
畳が一般のものとなったのは、江戸中期以降で、農村においてはさらに遅く明治時代になってからでした。江戸時代の長屋では、畳は長屋を借りる店子が運び込んで使ったといわれており、大家が用意しておくものではなかったそうです。
そのために畳の手入れをして長持ちさせる知恵を身につけていったのです。
それまで、い草は、自然のものを用いたり、小規模に作られてはいましたが、岡山や広島などで本格的に栽培が始まり、江戸時代後半には畳職人という職業も確立されて庶民の住まいにも徐々に使用されていきました。
とまぁ畳も一般に使用されるまで時間がかかったみたいです。今でこそどのお宅にもあるような物ですが権力の象徴であった時代もあったんですね。
来月からは水廻りの掃除の仕方です。
それではまた来週!!ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪

















コメントする